鐘を鳴らせ

思考回路の鐘を

ヒプノシスマイクに救われたオタクの話

前回 簡単に言うと、叔父の死に触れてしんどかった時のおまけ話

ダイマっぽいことするけどダイマじゃないです

 

大好きなアイドルゲーの大好きな曲たちが眩しくて聞けなかった。

ウォークマンに入っている曲は希望に向かうものか絶望のどん底みたいな曲の2択で何を聞いてもしんどかった。

でも何か思考を逸らさないと叔父のことを一生懸命に考えてしまって苦しかった。

愛とか夢とか希望とか、そういう言葉がどうしても受け入れられないくらい、世界と叔父とタ○ホームに怒り散らしていた。

とりあえず全曲シャッフルして、これはダメ、これもダメ、と飛ばす中である曲が耳にとまった。

 

これだった

 

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ヒプノシスマイク。

男性声優がキャラとしてラップバトルを繰り広げるCDコンテンツ。公式サイトはこれ

仕事とかで攻撃的な気持ちになった時よく聞いてるじゃん、愛とか希望とかを謳わないから楽じゃん、今にぴったりじゃん。思考がいっぱいいっぱいで、いつも救ってくれたアイドルや幻想楽団にしか思考がいってなかったなぁ。

そんな感じで、全員分のキャララップを詰めたプレリを開いて、一番好きなさまときさまの曲を流して、そのままシャッフルを開始した。

適度に飛ばしたりリピートしたりして心を持ち直していく中で、ある曲が流れた。

 

 

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これの1曲目。神宮寺寂雷(CV:速水奨さん)の『迷宮壁』。

速水さんがラップをする時代ですよ。やべぇな。

神宮寺さんはシンジュクをテリトリーとするグループのリーダー。精神科の医師で、ラップや言葉の力で多くの人を救ってきた、救世主のような人だ。好奇心が大変に強い。

 

正直、初めて聴いたときからそれまで、すごく苦手だった。

過剰なほど言葉を拾い言葉に殴られるタイプの言葉遊び大好きオタクには、彼の曲の歌詞は影響を受けすぎてしまうので、とてもきつかった。西尾維新とサンホラで育ったんだぞ。あと暗いし、怖いし。シンジュクの曲やばい、人気なのはわかるけど私には近づけない。

 

でも、その時の私には、その歌詞は眩しいほどの救いとなった。

「生きる為に死ぬか もしくは 死ぬ為に生きるか」

恐ろしかったはずのその歌詞は、例えるなら池に石を投げ込まれたように心に響いた。そう、答えならば後者なのだ。でも叔父が選んでしまったのは前者だった。

身を削る意味を叔父は履き違えてしまった。叔父は身を滅ぼしてしまった。変わり映えのない明日を私は待ち望めたけど、叔父は怖れた。

突然の訃報だった、誰がいつどうやって死ぬかなんてわからないんだと思い知らされた、笑ってはいられない黙ってはいられないと思わされた。叔父は死ぬ直前に笑えただろうか? 無理だろう。では私は死ぬ直前に笑えるだろうか?

死んだ叔父はどこに向かったのだろうか。地獄か、この世のどこかか。幸せそうな家族写真の中の叔父の、生きがいとは、幸せとは、なんだったんだろう。生きていれば何を伝えてくれただろう。不条理に屈してしまった叔父は、可愛い子どものために笑いたかったと思っただろうか、子どもの成長を夢見たかったと思っただろうか。

 

「息絶えたあいつだって生きたかったはずだろ」

 

そうだろ叔父さん。一週間後には長男の卒業式だっただろ。賢くて気の回る娘が、自由で天真爛漫な末っ子が、どんな大人になるか楽しみって正月に話してただろ。

あんな優しくてお節介で愛に溢れたばあちゃんを残して死んだことを、私は絶対に許してやらない。足掻いてでも生きてやる。傷のなめ合いはしない、自らで血を洗える人間になってやる。

負の感情に負ける人間を私だってもう見たくないし、私はそんな人間にならない。すべての経験を甘い蜜にできるまで強く生きてやる。どんなに心が揺れても立ち上がり続けてやる。

私の努力は今何かが絶対に見ているから、報われるまで生きることを絶対に諦めない。夢だって見続けてやる。

空の上のあんたに再会したとき、ぶん殴れるくらい堂々と生き続けてやる。だからそれまで、せいぜいゆっくり休んでろ。

 

いろんな感情が、歌詞と一緒にすとんと胸に落ちた。

そして、終点まであと数駅の人が少ない電車で、私はこっそり泣いた。

 

神宮寺寂雷は、設定そのまま、ラップの力で私の精神を見事立て直してみせたのだった。

叔父が死んだ。

3月17日、土曜日。16時20分頃。

珍しく休日出勤して、一緒に来てた同僚と駅で別れて、スマホを確認したら父からメールが来てて。

帰り時間かな、夕飯の希望かな、買い出しのお願いかな。

そう思いつつ開いて、

「Mが亡くなった。家のことをお願い」

私の思考は停止した。

 

Mさんは母の2人いる弟の、年上のほうの弟だ。

子どもが3人いて、強気な奥さんがパートタイムで働きつつ家事をこなして、

親(私の祖父母)と二世帯で暮らす、穏やかで優しい普通のサラリーマン。

末弟のYさんはもちろん、祖父母もまだ健在。祖母は現役で働いている。

80を超える祖父母はそのお祝いとして、5月に食事会をしようと自分たちで企画していた。

お正月に会ったMさんは、少しだけ痩せていたように見えたけど、

ご飯も普通に食べるし会話も楽しげだった。

本当に、本当に何でもなかったはずのMさんは、突如この世から去った。

 

事故に巻き込まれたかな?

心筋梗塞とか、そういう急な病気になったかな?

じいちゃんばあちゃん、子どもたちは大丈夫かな?

そう思いつつ、帰ってから犬の散歩をして、両親がやり残した家事を済ませた。

少し冷静になったから嫌な思考が頭をよぎったけど、

ちょっと冷えてきたから鍋でも作って待ってるか、と作業で誤魔化した。

 

入れすぎた野菜がしなって鍋に収まり始めた頃、両親が帰ってきた。

もし葬儀のために次兄が帰省するなら、それなりの準備をするので、

夕飯の支度をしつつ、母にそれとなく次兄はどうするの? と確認した。

「電話の報告だけにする。お葬式は小さく済ませることになったから」

その言葉に嫌な思考が蘇った。

そして長兄が仕事から帰ってきて、母が風呂に入っている間に父から告げられた。

 

「Mが亡くなった。今朝、首つってたって」

 

ああ、なんでこういう考えは当たっちゃうかな。

 

見つかったときにはもう息を引き取っていた。

救急車は来たけど死後硬直が始まってて運んでもらえなかった。

警察も来て検死もしたし、遺書も見つかってる。

間違いなく、首をつったことによる窒息死。

どうやら仕事を苦にしてのことだったが、詳細は聞いてないし聞かない。

Mさんの子どもたちには、今は病死で押し通す。

近親者のみで葬儀をして、他の人には何も言わないか事後報告。

 

父は努めて淡々と話してくれたけど、事務的なことでも聞くだけで疲れた。

話す父も、何も言わず気丈に振る舞う母も、きっと疲れていた。

「逃げればよかったのになんて、きっと外野の意見でしかないんだよ」

父の言葉は澱みとなって、心の底に沈んだ。

 

 

18日、日曜日。

とりあえずツイッターに浮上しないで普通に過ごす。

午前、駅で見かけた「自殺防止月間」とやらのポスターに理不尽な殺意が湧いた。

午後、作業系ソシャゲをひたすら巡回して心を落ち着けた。

夜、この件では沈黙を貫いていた母が「怒りしか湧いてこないよ」とつぶやいた。

 

19日、月曜日。

残酷にも仕事はやってくる。

よく面倒見てくれる先輩に「珍しく元気ないね」と言われた。

そうですか? って返したら、何も聞かずにチロルチョコをくれた。

 

20日、火曜日。

私は仕事。母と休みの長兄と早退した父で通夜に。

中途半端な時間に出ていった家族に不安を覚えた犬が、私の帰宅時に文句を言ってきた。あおあお、わおーん。

チビたちどうだった? と兄に聞くも、「別に普通」と言われ、普通なわけねーだろ役立たずめ……とはさすがに言わなかった。

 

21日、水曜祝日、本日。

長兄は仕事。両親と私でお葬式に。

仏さまは死化粧をしていたけど、顎のあたりや耳に締め跡がうっっっすらついていた。

知らなきゃ気づかない程度に隠せていたから、化粧師さんはすごい。

仏教に詳しい父は「自殺したら絶対に地獄行きなんだ」と小さな声で教えてくれた。

時間まで割と和やかだった。受付にいたけど親戚以外は本当に誰も現れなかった。

 

お焼香の後、祖母はとうとう泣き崩れた。

喪主挨拶で、気丈にしていた奥さんが泣きかけてこらえたのが辛かった。

いつも何となく世界に対して無気力だった、Mさんの長男Nくんが、しゃくりあげて泣いた。

半分わかってるようなわかってないような長女Mちゃんは、最後のお別れで泣きだした。

末の男の子Aくんは、最後までよくわかっていない顔をしていたけど、棺から離れたがらなかった。

祖父は祖母を気遣うことで耐えていたように見えた。

母の末弟Yさんは、ただ静かに行く末を見守っていた。

奥さんのご両親の振る舞いに若干むかついたけど、取り留めないことなので省略。

荼毘に付した後はまた和やかに会が進んだ。和やかじゃなきゃ誰も耐えられなかったからだと思う。

 

昼過ぎ、事を全て終えて、祖父母とMさん家族が暮らす家に荷物を運んで、

家に帰ってこのブログを書いている。

 

 

 

ここからは感情任せ

 

祖母の「親を置いてどこに行くんだい」が死ぬほど苦しかった

奥さんが最後まで強い人で、手は出さないほうがいいけど見守ってあげないとなと思った

Nくんすごく頑張ってた、明日は小学校の卒業式なんだって

Mちゃんは気を回すのがめっちゃ上手で、ずっと奥さんを助けてあげてて、賢いしえらいな、明るい未来が待っててほしいなって本気で願った

Aくんはめっちゃ不安要素だけど、まあ末っ子なんて放っときゃ育つし、その明るさが家に光を灯すんだろうなぁ

祖父は本当に頑固だなぁ……って思った、一番泣きたいだろうに

この5日間で何度も母を抱きしめたけど、その度に母が私を強く抱きしめ返してたのが印象的だった

父がNくんに「がんばったな」って言ってたのを聞いて教育者だ……って思った

Yさんは仏さまを前にするときだけはずっと無言だったのも忘れられない

 

あんなに小さかった長男、もうすぐ卒業なんだよ? 4月から中学生なんだよ?

こんなに可愛くて賢くて優しい娘の将来は楽しみだったでしょ?

末っ子なんて甘ったれでずる賢くて、可愛くてたまらなかったでしょ?

奥さんと喧嘩しつつも上手くやってたんでしょ? 家族旅行も行きたいねって言ってたんでしょ?

両親と姉弟とご飯行こうねって話してたんでしょ?

テニスとゴルフの約束、いっぱいしてたんじゃないの?

 

どうして何も言わず死んじゃったの?

一度転職したならもう一度やり直してもよかったんだよ?

なんでMさんが死ぬ必要あると思ったの?

 

めちゃくちゃ覚えてるよ おじさんはじいちゃんばあちゃんにすっごく優しくて

まあ家事とかは自分の分以外は全然だったけど それ以外は本当に良い息子で

ばあちゃんは近所に自慢の息子だって言って回ってて

じいちゃんも一緒にお酒飲むのが楽しみなんだって

奥さんとばあちゃんの反りが合わなくて嫁姑戦争みたいになりかけた時も

仲裁に入ってばあちゃんに「手は出さないであげて」って言って

奥さんにも「うんうんって聞くだけ聞いて」って言って

ときどき子どもに甘くて たまに奥さんに怒られるけど仲は良くて

すごく すごく

 

息絶えたあいつだって生きたかったはずだろ

ってウォークマンシャッフルしてて聞こえた時に思った

別におじさんは生きたくなかったんじゃなくて

生きたい気持ちを死にたい気持ちが遥かに超えてしまって

それでいろいろ計算して (恐らく「祝日に葬儀ができる」とか思ったんだろう) 17日に首を吊ったんだろうなって

だってMちゃんの誕生日に撮ったっていう遺影に使った写真のおじさん、子どもが愛しいって顔してたもの

世界のすべてに絶望したんじゃなくて、絶望したもののせいで希望が見えなくなったんだろうなって

 

おじさんが死んでも、他の人たちは人生が続いていくんだよ

御年80を過ぎた親も、まだまだ現役世代の奥さんも、小学生の子どもたちだって明日を生きていくんだ

死ねば済むわけないのに むしろずっと苦しみ続けるのに

 

おじさんはそれでよかったの?

私はきっと永遠に問い続けていくだろうと思う。

 

 

 

 

何にしてもだ

 

子会社にいたのか出向先だったのか知らんけど

通夜に2人と、ついで程度の香典しか寄越さなかった

弔辞さえも送らなかった

タ○ホーム

 

おめぇらは取締役一同が地に頭こすりつけても

ぜってぇ許してやらねえからな